チンピラトリオによる「高希釈は幻想か」という論文(報告書)とそれに対するベンベニストの反論を、『真実の告白――水の記憶事件』からご紹介します。
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「裏づけ調査」の報告は1988年7月28 日号『ネイチャー』に掲載され、私の最悪のシナリオの予感は的中した。「高希釈は幻想か」のタイトルの下、マドックスとランディ、スチュワートの3人の署名入りの報告は、「水が自らを通過した溶質の記憶を再現できるという仮説はむなしく根拠がないものである」と断じたのである。調査チームが“寄せ集め”のグループでしかないことや、そのメンバーが誰一人として「インセルムのユニテ200研究所が追究してきたテーマ・分野における実験経験」がないことを承知のうえで、彼らはわれわれの実験を痛烈に批判したのである。
マドックスたちは、不満の第一は「実験がいつもうまくいくとはかぎらないということに対する失望」だと考えた。誰か私をつねってみてほしい。夢を見ているのではないか。自ら立候補して検証チームに入ったとはいえ、エキスパートともあろう者が生物学についてこのような愚かなことを声高に言えるものだろうか。生物学においては、複雑なシステムはいつも100%うまくいくとはかぎらない。妊娠においてさえそういえる。高希釈に関しては、100%成功の保証はないが非常にポジティブな結果が出る傾向が強いということを、私は常に公の場で明言してきた。
このような科学的現実についてすら無知であるということは、おそらくマドックス、ランディそしてスチュワートの「研究分野における個人的経験の欠如」からくるにちがいない。問題は彼らの報告の論調である。彼らは7つの実験のうち4つはポジティブまたはそれに近い結果を出したことを認めざるをえなかったが、「ベンベニスト博士によってポジティブとみなされた」という表現を使用しており、報告の続きを読めば、この表現も一体となって、ある一つの目的が透けて見える。つまり、あらゆる手段を使ってわれわれの実験の成果を台なしにしようということである。
この報告のなかで最も言語道断ともいうべき部分は、『ネイチャー』の読者が実験の内容を知ることさえできないということである。
裏づけ調査を詳細に伝える報告が完成したとき、つまり出版の数日前ジョン・マドックスは、最新号の『ネイチャー』に掲載される調査報告について私が意見を述べられるようにそれを届けてくれた。私はマドックス商会の原稿が以下の文章で締めくくられているのを知った。「ベンベニストの実験の大部分はよい結果を出したが、われわれはそれらが人為的または統計的なミスであると信じている。しかし、これはすべての実験データに関していえることではない(4番目に行った一連の実験のように)」。
4番目に行った一連の実験は私が何度も強調したように盲検法で行われ、1988年6月に出た論文のなかで言及した曲線に似た、すばらしい結果を出したものであった。再検証に対する反論のなかで、私はこの文章が含んでいる二重の矛盾を突いた。
①もし数種の実験のなかで1つだけがうまくいき、それが人為的または統計的ミスでないならば、要するに、それはかかる現象が存在するという証拠そのものではないか。
②この文章は、この報告書の残りが立証しようとしていることと矛盾している。
『ネイチャー』はすばやく反応した。このフレーズは活字になった報告から全く削除されてしまったのである。したがって“エキスパート”による報告の印刷されたバージョンにはもはや存在しないこの重要なフレーズがあったことが、私の反論を読めば推測できたのである。
結局のところ、『ネイチャー』の調査報告は、真実に反する虚偽の申し立てと推量の寄せ集めにすぎない。こう断言する理由はほかにもある。
調査報告の執筆者たちは、実験(そして使用された血液の出所)の結果から活動のピークの位置、すなわちジグザグ曲線の最も高い点は必ずしも同じではないことを指摘している。しかし、ある患者の血液がほかの患者の血液と全く同じように反応するわけではないことや、たとえ同じ患者の血液であっても採取が行われたときによって異なった反応を見せるということぐらい、生物学を専攻する学生であれば誰でも知っている。なぜなら皆が同じアレルゲンに反応するわけではないからである。しかし、わかりきったことを証明することに満足しないジョン・マドックスとそのチームは、われわれが6月に『ネイチャー』に掲載した論文のなかで断言した結論とは全く逆の結論をわれわれに突きつけたのである。われわれは、「抗免疫グロブリンE によって引き起こされた脱顆粒化の波の反復は再現可能だが、新たに抗免疫グロブリンE を使用して行う実験のたびに、または使用する血液サンプルが変わるごとに、この現象のピークが1~2 回の希釈分ずれうる」とすでに明言した。
別の言い方をすれば、抗免疫グロブリンEを希釈するにつれて生じる活性化の沈静と再開を表す曲線の形は、必ずしも同一の血液から採取した好塩基球を使っても同じにはならないということである。これに関して、報告のなかには明らかな矛盾がある。1988年7月に出た彼らの報告のなかで、われわれが活性化のピークを「周期的にかつ位置も全く同じになる」現象として証明したと、彼らは書いている。そして彼らは実験の結果はわれわれの説明と一致しないこと、ユニテ200研究所のデータ(すべての実験の結果が記録されており、私は彼らに自由に閲覧させた)によれば、曲線のピークの位置は実験を行うごとに変化するとなっている、という結論を出したのである。
私はこれ以上何と反論すればいいのだ?いかさまシャーロック・ホームズによるショックはまだある。彼らはわれわれが論文のなかで紹介した実験結果に、好塩基球が脱顆粒しない血液サンプルがあることを考慮に入れていないこと、これによって統計結果をねじ曲げていると非難したのである。ところで、私はヒトの好塩基球の脱顆粒実験の考案者なので、この実験が人口のおよそ50%にしか機能しないということをよく承知している。これはアレルギー体質の人とそうでない人とを分ける基準なのである。
『ネイチャー』に掲載されたわれわれの論文はさらに、「好塩基球の脱顆粒化は通常の量を使用したときに起こらなければ、高希釈にしても起こらない」と強調している。抗免疫グロブリンEを通常の量使った際にヒトの血液に対し効果がない場合にでも、その血液をさらに高希釈にして反応をみてみるというほどの暇が私にはないことは明らかであろう。F1レースにおいて参加車の平均時速を出す際に、参加しない一台の車を計算に入れないからといって、いったい誰が主催者をとがめるであろう?
マドックスの気に入らなかったことはもう一つあった。彼は1988年6月に掲載したわれわれの論文の共同署名者のうちの2名の給料と彼らのホテル代が、ボワロン・ホメオパシー研究所との契約によって支出されていることを発見し“落胆”したらしい。エリザベート・ダヴナとフランシス・ボーヴェの給料がボワロン社によってまかなわれているというのはそのとおりである。しかしこの事実は私の側からみれば2つの結論を導くのみである。
一つは、ボワロン社の科学部長フィリップ・ブロンの名前が共同署名者のなかに表記されるということで、これについて私は全く何も隠すつもりはない。二つ目は、公的研究機関(インセルムやCNRS など)と製薬会社や薬事産業との間に交わされる契約は、ごく日常行われているということである。フランスでは前述のように、かかる契約は1981年以降、行政当局によって奨励されている。契約によって支払われる資金は一般的にインセルムの研究チームの活動予算の約半分を占めている。私が指導する研究所も、ホメオパシーではなく西洋医学的治療に使われるアレルギー治療薬を製造する製薬会社との間で契約を交わしていた。当時この契約によって活動経費の90%がカバーされた。だからといって、われわれが実行し発表している研究が汚れているということにはならなかった。
実際、マドックスとその一味の批判は、見つけだそうとしたもの――不正――が見つからなかったため無理矢理こじつけた腹いせ的な性格が強い。彼らが見つけたがっていたたぐいの不正行為は、マドックス、ランディそしてボルティモア事件においてその資質に問題があることが露呈した例のスチュワートの3人が、多少なりとも力量があるとみなされたかった点に存すると思われる。
しかし調査を行う前の計画によれば、この裏づけ調査は失敗だったといわざるをえない。不正行為はなかった……としたら、それなら別のものを探せばいい。そして疑念と監視の張り詰めた空気のなかで行われた数種の実験から、「サンプリングのミス」または「統計的見地」により、『ネイチャー』はわれわれの実験を再現不可能と結論を下したのだ。クラマールでの5年にわたる実験作業の集積も、カナダやイタリア、イスラエルの研究所の出した結果も考慮せずに。
「掲載されるか滅びるか」この格言は前にみたとおりイギリス人研究者の作である。「掲載されてそして滅びる」この格言は『ネイチャー』によれば、私の研究チームの運命ということになるにちがいない。
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このチンピラトリオによるベンベニスト博士の論文を否定する論文(報告書)は、いいがりに使えそうなものなら節操なく利用する、と表現できる恥知らずなやり方で作成されています。
ベンベニスト博士の高希釈水に原物質の情報が保存されている実験結果を否定することができないと考えた彼らは、そういうことには一切触れず、ベンベニスト博士が言ってもいないこと(ピークの位置も一致する)を言ったとし、よって検証の結果、再現性はなく、ベンベニスト博士の論文と一致しなかった、つまりあの実験は幻だったとしたのです。本質をすり替え、ベンベニスト博士の論文を否定するためにとんだいかさまをやったのです。この三人がチンピラトリオでないとしたら、世界中どこを探してもチンピラトリオは見つけることはできないでしょう。それほど彼ら三人組は、正真正銘、本物のチンピラトリオなのです。
本来周期性があるかどうかということも、高希釈水が原物質の情報を保存するかどうかという観点で言えばどうでもいいことのはずです。抗IgE抗体が存在しない水に好塩基球が反応し脱顆粒を起こすということ自体がこれまでの常識を覆すすごい発見なはずです。
さらにそれが周期性をもって現れるということも驚くべきことであるはずなのに、その周期のピークが希釈1~2回分ずれることがあるから、ネイチャーに掲載されたベンベニスト博士の論文の主張と異なり、再現性はなく、つまりはベンベニスト博士の実験は幻だったとする報告書を発表することは、悪意以外のなにものでもありません。
ピークの位置も完全に一致するなどベンベニスト博士は一言も言ってはいないし、ピークの位置が希釈1~2回分ずれることがあることも、同じ患者の血液でも全く同じにならないことがあることもきちんとネイチャーの中で述べているのです。
こうしてネイチャーに掲載されたベンベニスト博士の論文は幻だったとし、多くの人がきちんと彼らのいかさま報告書を読むこともなくベンベニスト博士のミスだと信じ、水の記憶自体が嘘だと信じてしまいました。一方で、ベンベニスト博士が不正を行った可能性を暗示し(はしごが移動されていたことと封筒の折が剥がれていたこと)、いつしかいかさま師、インチキ科学者のレッテルを貼られ、フランス科学界の面汚しと罵られ、偽科学批判者たちによって世界的な笑い者にされていきました。まったくひどい話です。
詳細は、『真実の告白――水の記憶事件』をお読みください。