ダーウィンはホメオパシー治療を受けていた!

 さて、自分自身で実験してみるという当然あるべき科学者としての姿勢をもっていたダーウィンでしたが、やはり当時からある学説(薄めたものは効果がない)への信念からか、自分自身、身をもってホメオパシー治療の効果を体験したにもかかわらず、それを受け入れることを拒んでいたようです。

 しかし、やはり具合が悪くなると再びダーウィンはホメオパシー医師の元を訪れています。心でホメオパシーを否定しても体は知っているのでホメオパシー治療を求めてしまうのでしょう。ホメオパシー治療で元気になると(つまり喉元過ぎると)ホメオパシーを否定し、病気になるとホメオパシー医師に頼らざるを得ないダーウィンの葛藤たるや想像に難くありません。よく分裂しなかったと思います。

 自分自身で実験してみるという科学的姿勢はもっていたものの、自分自身の経験を通してホメオパシーを客観的に評価する科学的姿勢については欠けていたようです。

 『世界の一流有名人がホメオパシーを選ぶ理由』(ホメオパシー出版)から要約して紹介したいと思います。

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 1837年前後から実に12年もの間、ダーウィンは胃の痛み、嘔吐、ひどいはれもの、動悸、震えなどの症状にたびたび襲われていた。シャーガス病やメニエル病などに侵されていたとの説があるが、当時は何の病気か皆目わからず、どんな治療を施しても悪化の一途をたどっていった。

 その後も失神の発作や視界に斑点が見えたりする症状が2年ほど続き、父親の葬儀も体調不良で欠席したダーウィンは、ついにホメオパスであるジェームズ・ガリー医師のもとを訪れる。『種の起源』を出版する約10年前のことである。

 ガリーはエディンバラ大学医学部の卒業生で、当時の一般薬の使用には真っ向から反対していた。療養所に滞在しはじめたダーウィンは、ホメオパシーは信用していないと言う一方で、「ガリー医師のことは気に入っている―彼は間違いなく有能な人間だ。話すことが父親そっくりなことには驚かされる」とも言っている。

 ガリーを同じく医師だった父親に重ね合わせ、有能と考えていた事実をもってしても、ホメオパシーを信用することはできなかったようである。

 しかし、このように極めて懐疑的だったダーウィンも、その数日後には、治療の効果が表れてきたことを認めている。16週目には生まれ変わったかのような感覚を味わい、6月には自宅に戻って研究を再開することができた。

 ホメオパシーが当時、主流派の医師や科学者から敵対視されていたこと、斬新な進化論を世間に示しはじめたころであることを考えると無理もないが、ホメオパシーによって大幅に健康状態が改善したことを、ダーウィンが公に述べることはなかった。

 また、初めてガリー医師を訪ねた日から1年半後、ダーウィンは私信の中でホメオパシーへの疑念を吐露している。ごく微量の投与は何の手も講じないことと変わりないのではないか、という内容である。

 しかしダーウィンの症状は長年の間に時折ぶり返し、そんなとき彼はガリー医師のもとを訪れて治療を受けている。これは、真に効果のある治療法の本質にかかわることを裏付けている。つまり、本当に効く治療法は、患者がその効き目を信じていようが信じていまいが効くということである。

 ダーウィンの話に関してもう一つ興味深いのは、ダーウィンが自己の経験を通じて、好転反応について自然のうちに学びとっていたということである。つまり、体に現れる症状は薬によって抑圧すべきものではないということを体験的に理解していたようなのである。

『世界の一流有名人がホメオパシーを選ぶ理由』(ホメオパシー出版)から要約。